矛盾だらけの廃炉費用は大手電力会社が負担すべきなのか

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  • 更新日:2016/09/14
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毎日新聞で、次のような記事がありました。

原発コスト負担: 大手の救済色濃く 利用者の反発必至

powerplant.jpg趣旨はこうです。

政府は原発の廃炉や東京電力福島第1原発事故の賠償を進めるため、大手電力会社だけでなく、新電力を含むすべての電力会社に費用負担を求める。

大手各社は廃炉のための引当金を積んでいるが、必要な費用が2兆8200億円必要なのに対し、積まれているのは2013年3月末時点で1兆5800億円、56%しかない。

電力全面自由化で大手の利用者が離れるとこれまで通り積み立てできない可能性がある。そのため、政府は新規電力会社にも引当金の負担を求める。政府のいう理由は「新規電力会社の利用者も過去には大手電力会社を利用していたのだから、今後も負担の公平性が損なわれてはならない」だという。

これに対し、新規電力会社は原発と無関係であり、この施策は大手救済策である。利用者は反発するだろう。

大手電力会社はこの引当金を利用者から電気料金の上乗せとして徴収しています。同様に、この制度が始まれば新規電力会社も受益者負担にせざるを得ないところが出てきます。

不公平、大手救済措置だといいますが、本当にそうなのでしょうか。

原発の廃炉は誰の責任か

政府の言い分と大手の論理

まず、問題を整理してみましょう。当該記事には政府側、消費者側として以下のように論点が掲載されています。政府側は以下のとおり。

・電力自由化で大手電力は廃炉や福島原発事故の費用を回収できなくなる恐れがある
・新電力に切り替えた消費者も、過去には大手電力が原発で発電した電力を使っている
・原発の廃炉や事故の賠償を円滑に進めるには、新電力を含むすべての契約者に負担を求めるべきだ

これまでの大手電力会社は「供給義務」を負う代わりに、地域独占を認められてきました(電気事業法第18条)。また「経営費用(コスト)に利潤を上乗せして消費者に請求できる(「総括原価主義」といいます)」という、およそ普通の競争市場ではありえないような事業構造が許されてきました。

廃炉費用はコストの一種です。このコストは利用者の電気料金に上乗せされています(原子力発電施設解体引当金)。

これを新規電力会社にも負担させるということは、上記の大手電力自身の利益の源泉である「総括原価主義」の負担者を大手電力の競争相手である新規電力会社にも広げるということになります。「独占も利益も保証する、その代わり安定供給しなさい」というのが電力会社の歴史的な役割だったわけですが、電力自由化で「独占」がなくなっただけで、競争相手がいても他の条件は変わってないのです。そして、保証されている「利益」の一部を新規電力会社に負担させようというのですから妙な話です。

また、原子力発電所は火力発電所など、他の発電方法に対しコスト的に有利であると喧伝されてきました。しかし、蓋を開けてみると事故も起き、その対応コストも増え続けています。総括原価主義のもと、原子力発電施設解体引当金が今後も一定である保証はどこにもありません。

さしずめ以下のような感じでしょうか。

「この市場に参入するのは自由だけど、みかじめ料を払ってね。あ、そうそう、みかじめ料はこちらでいつでも変えるから、そのつもりで」

「消費者」視点と歴史の矛盾

一方、当該記事にある「有識者・消費者」の論点は以下のとおりです。

・廃炉や賠償の費用は大手電力が経営努力で電気料金から回収すべきだ
・廃炉や賠償の費用を入れても原発は安いと言っていた主張と矛盾するのではないか
・原発のない新電力や沖縄県の契約者が費用を負担するのはおかしい。大手電力の救済ではないか

新規電力会社に原発と関係ない会社があるのはその通りで、再生エネルギーを多く使うことを売りにしていたり、そもそも沖縄には原発がなかったりします。

しかし、大手電力が経営努力で回収すべきというのは、本当にそうでしょうか。もちろんこの意見は正論です。一方で、原発の費用は当初の目論見よりも大幅に大きいことがわかってきました。電力会社が最初からすべて自分の責任で原発を作っていたのなら、そのコスト回収のリスクは事業構造が変わっても負う必要があるでしょう。ただ、通常の私企業だったら、これだけのリスクがある事業を乱発していたか疑問です。

そもそも、原発は資源の少ない日本の国策で進められたものです。規制でがんじがらめの電力会社に原発を進めたのは他ならぬ政府です。田中角栄の「日本改造論」に熱狂したのはそんなに昔のことなのでしょうか。「電源3法」と言われる原発推進を含む一連の法案が成立したのは1973年、今から半世紀も昔ではありません。そして、原発がたくさん作られ、事故を起こし、いま廃炉の議論になっているのです。

ところで、2012年、つまり福島の原発事故が起こってから事後的に民主党が議員立法で決めた原発の寿命は40年(原子炉等規制法)。原子力規制委員会の認可を受ければ20年延長が可能です。日本以外ではどうかというと、原発大国のフランスをはじめ、スイス、ベルギー、スペインなど、安全対策に関する審査を前提に、40年を超えて運用することをf可能にしています。米国では、「投資の償却期間」という税法上の別の観点から40年という法定期間が設けられているが、実際には延長が頻回に行われています。

これは別に、米国の法定期間をそのまま持ってきたから問題だとか、国外で認められているから日本で認めるべきだとか、そういうことが言いたいのではなくて、40年という期間に科学的根拠がないということなのです。

科学技術は未知への取り組みです。我々が今言っていることは数10年の原発運転や、いくつかの事故を経験してわかってきたことを基盤にしていますが、そもそも歴史上原発が存在したのが数10年程度で、わからないことの方が多いということを表していると言えます。

ある見方をすれば、大手電力会社は、確立していない科学技術への投資を国策によって強制され、いまはその制度が転換されているということに振り回されているだけなのではないでしょうか。

大手電力会社に責任の一端があることは疑いようもないのですが、「大手対新規」の構図にして議論のターゲットから逃れようとしている政府の姿が透けて見えます。そして、我々はそんな原発を進める政治家に投票してきたのです。

結局、原発は実世界の矛盾の鏡になっているようです。その矛盾には私もあなたも含まれます。今の状況は、誰も責任を取ろうとしないがゆえに発生しているように見えます。

どうすればいいか、まだ結論は見えていないですが、今の状況を大手電力会社や、現政府や、だれかのせいにするのは、これらの矛盾から逃げているだけではないでしょうか。

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