将棋カンニング問題の本質は機械(スマホ)ではなく棋界である

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  • 更新日:2016/10/20
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将棋の世界で、三浦弘行九段が勝負の際にスマートフォンの将棋ソフトを使ってカンニングをした疑惑があることが明らかになりました。

このことを受け、日本将棋連盟は三浦氏を年内の公式戦出場停止処分にしました。

ここでは三浦氏がカンニングをしたかどうかの真偽や、処分の是非は別の専門記事に譲って、別の視点から考えたいと思います。

shogi.jpgImage: Photock.jp

問題はカンニングではない

この件では、スマートフォンを使ってカンニングするのが問題だとされていますが、そうでしょうか。私は棋界が時代に合わせて変化していないだけだと思います。

将棋は囲碁と比べてコンピュータにとっての難易度が低く(専門的には探索空間が狭い)、個人が持つスマートフォンレベルの機器でもトッププロと近いレベルの能力を持ちます。

そんな時代にも、人の純粋な能力勝負として将棋や囲碁を楽しむことは当然あっていいと思います。それならスマートフォンの持ち込みを制限するとか、勝負中に情報機器に触れないような対処をすべきです。2日制にすれば途中で情報機器に触れる可能性があるのですから、1日制にしたり、基本を早指しにするという考え方もあります。

ただそれとは別の観点として、コンピュータの利用に対して否定的な態度を取ってばかりでは、進歩しないのではないでしょうか。

コンピュータ将棋がトッププロレベルの強さになってきた2012年1月、当時最強の将棋プログラムのひとつであったボンクラーズは米長永世棋聖と対局して勝利を収めます(第1回電王戦)。このときに、現役のプロ棋士と対戦しなかったのは対局料が高かったこと(米長氏は当時すでに引退)とされていますが、現役のトップ棋士が万一コンピュータに破れるようなことがあれば、棋界としての体面が保てないためではないか、という噂も囁かれました。

様々なゲームスタイルを考えるときでは

あれから4年あまり、当時複数台のPCをつなげてクラスタ構成でプロに挑んだコンピュータ将棋の強さも、いまはスマートフォンで再現できるレベルになってしまいました。

チェスの世界では、すでに「フリースタイル」といって、コンピュータと人間を自由に組み合わせた団体戦(と言っていいのかわかりませんが)があります。もちろんまだ議論もあるところですが、コンピュータと人間が協働する形式を模索しているところは進化ではないかと思います。

囲碁のように、プロに勝利するには世界最高レベルのコンピュータ資源やプログラムが必要な場合は、まだフリースタイルを許すと強さが資金力などで左右されてしまうという要素がある(そうは言ってもクラウドで実現されるレベルなので個人でも不可能ではない)でしょうが、将棋やチェスはもうコンピュータにとっては「遊び」の世界です。

この手の技術は指数関数的に(加速度的に)進歩しています。プロのレベルの囲碁がスマートフォンで再現されてしまうのも時間の問題でしょう。

その囲碁の世界の話ですが、昔(江戸時代〜昭和初期)は家元制で、差し手を門下総出で研究して打ったこともあったということが最初に挙げた記事中でも指摘されています。それが個人戦になったのは、ある意味時代の変化に対応したと言えなくもありません。

対局にスマートフォンの持ち込みを制限しても、ウェアラブル機器やインプラント(人体埋め込み)などの技術の進歩により、その一手が本人が考えたのか、インターネットおよびコンピュータの膨大な知識を動員した結果なのか、区別がつかなくなる可能性もあります。コンピュータ共創時代のゲームスタイルの変革について、もう一度考えてもよいときではないでしょうか。

チェスのフリースタイルと同じである必要はありません。スポーツに例えると、短距離走も自転車レースもモータースポーツも、最近はEスポーツだってあるのですから、いろいろなスタイルがあっていいと思います。

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