カタカナ英語の功罪?

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  • 更新日:2015/03/14
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カタカナ表記は誤っている

5月4日付日経新聞(衛星版)の記事に、「インタビュー 領空侵犯 小学英語からカタカナ排除」という記事がありました。 Peter Barakan氏によるものです。 Webのサイトでも見られると思います(サインアップが必要のようです)。

まず、「今日本で使われている英語のカタカナ表記は半分以上が誤りといって構わないでしょう。表記が本来の発音とかけ離れているのです」 これは全くそのとおりです。

カタカナ表記を直すのに意味はあるのか

ただよく、インターネット上で「メール」じゃなくて「メイル」だ、などという人がいますが、私はこれに意味を感じません。 記事内でも「マネー」は「マニ」、「バレーボール」は「ヴォリボール」といった例が出ています。

日本で既に広く受け入れられているカタカナ言葉は既に日本語化(カタカナ化)された英語もしくはその他の外国語であり、少しばかり元の言語の発音に近づけようとしたところで、所詮別物です。

文化を受け入れる柔軟性とは表裏一体

む しろ、これらの言葉は既に日本語であり、意味も日本独自の変遷があったりします。 これはこれで、外国語を抵抗なく受け入れ、咀嚼してしまう日本語(または日本人)の柔軟性とも取れます。 たとえば「アニメ」という言葉はもともと"animation"(動画)という英語が転訛したものですが、既に日本独自の文化(anime)として欧米で も広く受け入れられています。そして、英語の"animation(元の意味でのアニメーション動画)"と"anime(日本由来のアニメーション)"は別物として認識されるのが普通です。

そういう意味では、著者の「英語のカタカナ表記と正しい発音が異なると認識すればよい」という意見には賛成です。 ですが、そのあとに続く「そうでなければ学校やマスメディアで使う表現・辞書を見直すべきです」というのはちょっと頷けません。

筆者は使える「英語を習得するには発音が最も重要です」と論じています。 確かにそういう面もあります。 私が昔住んでいたアメリカの片田舎では、私の拙い発音がどうしても通じなくて苦労した記憶があります。

ただ、国際語としての英語となると必ずしもそうではありません。 私の周りには、さまざまな社会的立場の日本人が活躍していますが、かなりカタカナ丸出しの英語でも難なくコミュニケーションをこなしている人がいくらでもいます。

英語にはいろいろな訛りがある

ヨー ロッパに来てわかりましたが、英語はコミュニケーションの手段であり、母語として英語を使う人はむしろ少数です。 そのような環境だと、彼らの母語から来たであろうあらゆる訛りが入り乱れているのですが、コミュニケーションには特に不自由しません。 「日本語訛り」もそのような「訛り」のうちの一つに過ぎません。

たとえば、日本語が"L"と"R"の発音の区別ができない、と言われること がありますが、これは日本語話者に限った話ではありません。 他の言語も考えれば、"B"と"V"、"V"と"F"、"S"と"TH"など、このような例はいくらでもあります。 別に日本語が特別なわけではないのです。

日本人は十分に語学力を持っている

誤解を恐れず言えば、日本の高校または大学までの英語学習で、語彙や基礎的な表現については十分に 身についています。 また、メディアやインターネットを通じて英語に触れる機会も激増しており、日本人の「英語基礎力」はかなりのレベルに達していると思います。 よく言われるように、日本の英語学習で決定的に足りないのは「実践」です。

筆者はこの記事で発音の重要性に絞って言及しており、それが彼の意見のすべてではないと思いますが、ちょっと先鋭的過ぎる嫌いがあると思います。

国際語として全くのカタカナ英語のままでいいとは言いませんが、ちょっと修正するだけで十分通じるのではないかと思います。 一方で、カタカナ言葉は外国語をスムーズに日本語に受け入れる手段として、一つの言語文化と捕らえてもいいのではないでしょうか。

ところで、いろいろ言っている割には、氏の紹介は「ブロードキャスター ピーター・バラカン氏」となっていますね...。

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