人間を理解する:記号創発ロボティクス 知能のメカニズム入門

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  • 更新日:2015/08/16
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人工知能とロボティクスの今

人工知能が研究としての「闇」から抜け出てしばらく経ちますが、そんな最新状況を少し調べてたくて読んでみました。
本書は2014年発刊、著者は谷口忠大氏です。

「記号創発ロボティクス」の名称も新しく、2011年の人工知能学会全国大会で初めて世の中に出たそうです。

構成論的アプローチ

筆者の研究は、人間を理解するための2つのアプローチ、「分析論的アプローチ」「構成論的アプローチ」のうち、後者を採用しています。

分析論的アプローチはあるものを分解することによって中身を理解する、例えば自動車のタイヤをパンクさせて走り方の違いを見ることによってその機能を理解するそうです。

一方、あるものと同じ動作をするものを作ってみよう、例えばラジコン自動車を作ることで自動車のことをある程度理解することができるのではないか、というのが構成論的アプローチです。この本の文脈で言えば、知能を作ってみることによって理解しようとするわけです。

構成論的アプローチはコンピュータの処理能力の増大でできることが増えるので、比較的若い学問分野だそうです。

認知的な閉じ

我々が事物を理解するということは、五感で事物を感じ取り、その写像が脳内に形成されてそれを認識しているということであり、決して事物そのものをあるがままに理解できるわけではありません。そのため、たとえば私の「犬」の理解と他の人の「犬」の理解は完全に同等になることはできません。

つまり、自分が理解できることは自分が感じられることから脳内で再構成されることに制限されており、このことを「認知的な閉じ」というそうです。「認識は主観のみである」といってもいいかもしれません。

ロボットや人工知能の場合、アプローチによっては「知識」をあらかじめ外部から与えておくことも可能です。たとえば、自然言語理解の分野では文法や単語の知識をあらかじめデータベース化しておくことが普通です。

これは、そのほうがコンピュータにとって(そしてそれをプログラムする人間にとって)楽だからそうしているのですが、これは人間世界では不自然です。赤ちゃんが成長する過程ではそのような「外部注入」があるわけではなく、自分の「認識的な閉じ」の中で自分ですべてを学習しています。

筆者のアプローチもそうで、ロボットが何もない状態から「自分で学習する」ことに重点が置かれています。

ロボットのもつ「心」

本書では、ロボットが心や意識を持つかどうかということについて何度も議論されています。

人々が問う「ロボットには心があるか」という(一種否定的な)問いに対し「なにが心であるか」と問い返すことによりその定義のあいまいさを指摘しています。

そのうえで、「心」の手前にあるであろう「認識」や「概念」をロボットと人工知能で実現することにより人間理解を深めようとしています。

五感の駆使

人間は文字のみで事物を理解しているわけではなく、五感を駆使して概念や文脈を理解しています。これを「マルチモーダル」といいます。そのことを示すために、本書では複数種類のセンサーとアクチュエータ(動作する腕など)を装備したロボットを使うことにより理解に迫ろうとしています。

たとえば、電通大で開発されたロボット「ダイゴロー」による物体のカテゴライズを例に、人工知能が概念を持ちうるかの基礎的な可能性としています。

ダイゴローは教師なし学習(人間が知識を与えない)で人形やボール、おもちゃなどの様々な物体を見たり(視覚)手に取って動かしたり(触覚、聴覚)してそれらを分類します。分類結果を人間が分類した結果と比較すると、複数の感覚器を使って分類すると人間が行った分類と遜色ないという結果が得られました。

これについての詳細な研究論文は以下にありますので興味のある方は参照ください。

「アレをアレして」はロボットに理解できるか?

さらにロボットが言葉を獲得する方法について説明されています。

言葉と言っても、会話や文章といった文字によるものだけでなく、行動の認識や自動車の運転に拡張されています。たとえば、「これはお茶のペットボトルです」のような文章を理解するだけではなく、「車が右折する」という行動は「前方を見て、状況を確認し、アクセルを踏んで、ステアリングを切り、ブレーキを踏む」という一連の単語から成る文章と仮定して、マルチモーダルによる理解を試みています。

このことから、言葉というより記号というほうが概念として広いため、本書のの名称が記号創発ロボティクス(英語名はついていませんが、関連論文を調べるとsymbol emergence in robotics)となっているようです。

これは、言葉の理解も行動の理解も(文字やアクセルを踏むなどの)単純な要素が組み合わされて複雑な概念が形成されるという「二重文節構造」を持つ、という共通性を仮定しているためです。

さらに文脈の理解といった高度な活動についてもロボットで再現する試みをしています。これはロボットが人間のあいまいな言葉を理解するだけでなく、ロボットがあいまいに話して人間が理解できるかという実験を行っているという点が面白いです(実験に協力した人はロボットの「意思」を理解するためにかなり疲れたそうですが)。

これは「共有信念」と呼ばれ、自己と他者(ロボット)の間で言葉(記号)の解釈を共有すると解釈できます。

工学と哲学の間で

本書のテーマは「人間を理解するためにロボットを作る」であり、ある種哲学的なアプローチも取り入れながら、人間の知能を構成するための様々な手法について議論しています。

筆者は(当たり前かもしれませんが)人工知能やロボットの「心」を否定する人に対し極めて否定的であり、「○○ができるのが人間ならではの心の作用であり、ロボットとは違う」という意見に対し「○○の定義を挙げよ」「○○ができたらロボットが心を持つことを認めるのか」と再三に渡り議論しています。

このことは、ある時代に人工知能と言われていたものが実現すると「その程度のことは人工知能ではない、なぜなら人工知能は××できるべきだからである」と言われてきたことの繰り返しでしかなく、私にはあまり意味のある議論とは思えません。

あと、ロボットの心の議論に関しては、不気味の谷や、「ロボットである事実」に対する人の感情的な嫌悪についても考慮する必要があるでしょう。

ただ、この点における本書のテーマは構成論的アプローチで「不可能性の反証」をすることで、そのために上記の主張がある点は認識する必要があるでしょう。不可能性の反証とは、「歩くためには知的な制御が必要である」に対する受動歩行機械が例です。受動歩行機械はコンピュータも、モータさえもない単に金属でできた「足」だけですが、下り坂で極めてスムーズに歩行することができます。

それはともかく、本書は構成論的アプローチに基づく人工知能についてクラスタリング、教師あり・なし学習、二重文節構造など人工知能に必要な知識が比較的平易に学べます。

後半は若干難解な部分もありますが、構成論アプローチという新しい分野について全体像を概観できるので、人工知能に興味のある人は読んで損はないと思います。

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